一休 真実の探究

野口整体、霊性修行、スピリチュアルなこと、気 エネルギーについて

将来の懸念

先日も朝のテレビ番組で、家庭での子供の学費と老後の生活費のことが流れていて、専門家が必要な貯蓄額などを説明しておりました。
まだ40代そこそこの専門家は、これだけ生きたらこれだけの貯蓄がなければ足りないと、老後の生活資金作りに既に今のうちから余念がないという雰囲気でした。


こういった考え方というのは、霊性修行ではよろしくないものとされています。
特に修行者でなくとも同じことは言えると思います。


この考え方は、
何が起こるかわからない未来に対して心配不安を抱いていて、その不安に事前に対策をしていくことで心配不安を打ち消そうとしているわけですが、


この時頭のなかで考えてるのは、

こうなったらどうしよう、
ああなったら困る、
こんなことになったら大変だ、
あんな風にはなりたくない、

という自分の身に起きてほしくないことを一生懸命に思い浮かべて空想をしています。


自分の身に起きる現実というのは、
空想したもの、念じたものが現実化していきます。
こんなことにならないようにと一生懸命になればなるほど、
こんな困った大変なことが起きますようにと念じていることになってしまいます。

こうなると、心配不安な心の状態はいつまでたっても解消されていきません。



霊性修行で大事とされているのは、
心配や不安が起こっても、それに心をとらわれないということです。
不安という悪魔に心をとらわれてしまえば、そこから身動きができなくなってしまいます。
蜘蛛の巣にかかった蝶蝶のように、
どうにかして脱け出そうともがけばもがくほどに、
とらわれた心配不安な心の状態から脱け出すことは困難になってしまいます。


心配や不安があるならば、ただ自分はそう感じているのだなあと思うだけで後は流すことです。
それに対してどうにかしようと一生懸命に考えないことです。



何かを行う動機というのは、
こんなことをしたいとか、こんな風になりたいとか、
少しでも心が沸き立つ良い空想に身を任せていくことが大事であります。

反対の、
こうならないように、ああならないように、という悪い空想に身を任せてしまわないことです。


自分の心の動きをよくよく感じて、
事を行う動機がどうであるかを観察してみることが修行者には重要です。



一休