一休 真実の探究

野口整体、霊性修行、スピリチュアルなこと、気 エネルギーについて

業の軽減

修行が進んでいくと、業出し、カルマの清算も短期間に行われていく。
この世のすべてを恨み憎しみ、発狂するほどの怒り嘆き悲しみ、そういった壮絶な感情も表層化してくる。


生きている中で、そういった感情を今生の経験で今味わっているならば、既にそれは業出しに突入しているからだ。


人の心の奥底には、過去沢山の前世で味わっている壮絶な苦しい感情が眠っている。これは多かれ少なかれ誰しもにあるだろう。

もし今生で今つらい思いを体験しているなら、それはかつて、前世で似たような状況でそのつらい感情体験をして、その陰性感情を処理できずに残しているのだ。
今生ではその陰性感情を表に引っ張り出すために、過去と似通った状況を現実に作り出し、再体験しつらい思いをする。
今度こそその陰性感情を浄化処理するためにだ。

つらくても悲しくても、これはどこまでも自分自身が選びそうしていることなのだ。だから業出しが始まってしまったらもう受け入れていくしかない。
そしてどうにかして、恨み憎しみも赦しに変えるしかない。
嘆き悲しみも、吐き出してしまうしかないのだ。


そんな壮絶なつらいカルマも、引き起こされる前に未然に軽減する方法がある。無くすことができるものもあるだろう。
過去のつらい状況を今生でまた作り出さずとも、
そこに眠る陰性感情に気づいてそれを意識化することができれば、それだけで今生で繰り返し再体験をする必要は無くなる。
過去のつらかった時の気持ちを思い出して癒せば、その方がいいのだ。


修行を行うことの重大な意義がここに一つある。


潜在意識の底に沈んでいる陰性感情に積極的に気づき、顕在化していくことで浄化は促される。
出てきたら心のままに泣き叫び、暴れて全てを流すのだ。
こんなとき、そこに癒しをくれる何者かが必ず存在してくる。



やりきれない程のつらい思いなど、誰も好んでしたくはないだろう。
今生するはずのつらい体験も、できるなら軽くあってほしいと思う。これは自分だけではなく全ての人に対しても思うことだ。
カルマというものはエネルギーのバランスであるから、軽くする、無くす方法は一通りではない。

心身の浄化も、誠実に生きるのも、他者を労るのも、愛を大事にするのも、歓び楽しみを膨らませるのも、恐れを克服するのも、負のカルマを軽くすることになる。


でもできるなら、なにかしらその人に合った瞑想、あるいは心が鎮まる瞑想的になれることが何か行われるのが大切と私は思う。

つらい業の再体験が始まる前に、先んじて積極的に眠っている苦しみに気づいていくには、やはり瞑想は必要不可欠と思うからだ。


一休