苦楽の心
怒りや悲しみといった、苦の感情を理性で切り離してしまうということは、
同時に楽をも切り離してしまうことになる。
苦と楽とは、共にある。
感じているものは、
それを自分の一部として使えているところである。
感じることの出来ない無感覚なものは、自分の一部として使えていないところである。
麻痺は、使えないし動かない。
心も同じである。
苦の感情、
すなわち苦しいという感覚を、切り離して放っておくと、
次第に自分から離れ、無感覚になる。
感じられている自分から切り離したものは、
そこで止まったままおいていかれてしまう。
感じられている部分、
自分の中心と一つに繋がってるところだけが、使えているから進歩し成熟していく。
無感覚へ、置き忘れてきた苦の分だけ、
生きてて楽しいと感じることもできなくなってしまう。
置き去りにされた心も、使えないし動かない。
苦と楽と、表と裏で一つの心である。
感覚していることが、使っているということである。
感じるから動くのです。
もしも、
楽しみも喜びも薄い、虚しさの中で生きているという人がいたら、
それは、苦しみをどこかに置き忘れてきたからだ。
過去に立ち戻って、
置き去りにしてきた心を、もう一度取りに帰らないといけない。
忘れてほったらかしても、
いずれいつかは取りに帰らされるのだ。
取り帰って手にしたら、今度は泣くなり喚くなりすればいい。
苦を楽に、裏返せばいい。
一休