正月 食い過ぎ
年末年始、
普段よりも、食べ過ぎてしまう人は多いことでしょう。
食べ過ぎれば、
感覚は、鈍ります。
五感も、感情の動きも鈍ります。
食べるという行為は、
基本的には、心も身体も弛む行為です。
副交感神経の働きを促し、緊張を弛めます。
仕事などで、
心身の緊張が続けば、次第に疲れてまいります。
そうなると今度は、
その緊張を弛めたい、弛みたいという、弛緩の要求が起こってきます。
これが、
お風呂に入りたいとか、よく休みたいとかいった、
実際に、いい形で緊張を弛めることのできる要求が起こってくればいいのだが、
心身が強く鈍った状態にあるときには、
実際には弛んでいかない、よくない要求が起こってくることがあります。
食べたいという要求が、その一つであります。
必要なとき、必要量だけ取れば、
心も身体も、ほどよく弛むものが、
鈍りの強いとき、
身体の働きが低潮なときには、
本当の空腹でもないのに、
弛もうとする働きが、
食いたいばかりに感じられることがあります。
本当の要求は、
心と身体の緊張を弛めて敏感に戻りたい、
力を抜きたい、
なのに、
具体的に起こる要求は、
食いたい、
になる。
こんなとき、食べたら弛んで敏感に戻るかと言えば、
食えば食うほど、ますます鈍ってどの感覚もボンヤリしてくる。
味覚も鈍って、たいして美味しく感じない。
こんなときに、食いたい要求に任せて食べても、
さらに鈍っていくばかりでなにも良いことはありません。
こうなったら、
身体を動かすなり、温めるなりして、
余分な緊張がほぐれてくれば、
食いたい要求も鎮まってきます。
空腹になるほどに、感覚というものは敏感に働くようになります。
反対に、
満腹は、心身を鈍らせていきます。
出家修行のお坊さんは、
少量の食事で、感覚を研ぎ澄ませていく。
野生の肉食獣は、
飢えが起こるまで捕食はしない。
感覚が鈍ることは、野生においては命取りである。
修行や、日々の心がけで、
感覚を鋭くしていくと、
必要以上の要求というものは、だんだん起こらなくなってきます。
無理に我慢をしなくても、自然とそうなってきます。
鈍りが慢性的になるほど、
満腹が当たり前になるほど、
我慢のできない強い要求が起こるようになります。
正月でも、食い過ぎには注意です。
一休