感受性傾向
当たり前のことではあるが、
人の生き方も、価値観も、一人一人は皆違う。
経験も違えば、感受性も違う。
この感受性、感じ方の違いというものは、大きい。
この違いがあることによって、
仮に同じ経験をしたとしても、人により価値観も人生観も、多様になってくる。
どんな人でも、
特定の感受性傾向というものを持っている。
その特定の傾向の要素を強く感じ、その感じた要素を自分の中に多く取り込んでいる。
この傾向に基づいて、その人の価値の基準の角度といったものが決まってくる。
例えば
あるものを見たとき、
ある人は、
その形、形式、目に見える評価といった部分を強く感じる。
ある人は、
その色、彩り、感情的な部分を強く感じる。
ある人は、
その見える裏にあるもの、それに至る背景、隠れている本質的な要素を強く感じる。
このように、
同じもの、同じ物事を見ても、
人により、
自分の中に入ってくるものは変わる。
そして、
その強く感じている要素が、
その人の価値観、人生観の傾向を作っていくことになる。
誰でもそうだと思うが、
どうしても気づかぬうちに、
自分の感覚を基準にして他人のことも見てしまっている。
しかし、
こうして、人によって感受性には差異があるので、
そこを踏まえて他人のことを見ていかないと、
独りよがりな思い違いも甚だしい、ということにもなりかねない。
この感受性の近いもの同士であれば、
お互いの理解というのもしやすい。
似た要素を感じていれば、いちいちみなまで言われなくとも、
相手の気持ちを汲み取りやすいし、
共感覚も多くなる。
ところがこれが、
全然違う感受性傾向の人同士であると、
時としてお互い理解しあうのに、
一苦労どころじゃ済まないということにもなってくる。
同じ事柄について議論し合っても、
全く話が噛み合っていかないとか、
相手の価値観が理解できず受け入れられず、イラついてしょうがないとか、
お互いをけなし合うような関係を作ってしまってはどうしようもない。
言うなれば、
誰しもが皆、自分の傾向の色眼鏡をかけて、その色越しに世界を見ていると言える。
赤い色眼鏡をかけている人にとっては、
映る景色は全て赤みがかるというもの
青いものを見たって、紫に映る。
黄色い眼鏡をかけている人が青いものを見れば、
どうやったって紫には映らない。
でも実際の色は青である。
これは野口整体の体癖論というものの一端なのだが、
自分がどんな色眼鏡をかけて世界を見ているのか、
それを自覚していくこと、
その人はどんな色眼鏡をかけているのか、
それを見取っていくこと、
こういうことをするかしないかで、
他者の理解ということや、
受け入れられる幅、
交わりの円滑さや、人と深く関わるということにも影響してくる。
自分を知っていくということに於いても、
他者との交わりに於いても、
この感受性の差異を知ることは、役に立ちます。
一休