生命の原理 続き
病気になるのも、怪我をするのも、
エネルギーの発散行為である。
偶然起こっているように思えることも、実際にはそうではない。
エネルギーが有り余っていれば、どうにか使って発散されようとする。
無意識は、その発散を必要として求めている。
必要な発散が意識的に行われなければ、
無意識がそれを実現する。
怪我をしたり病気したりすれば、エネルギーは沢山使われる。
無意識の破壊発散の要求によって、自分を壊すか外の何かを壊す。
破壊発散が、
外へ向けば怪我や事故を起こし、
裡へ向けば自分の中を壊していく。
自分の中に余って溢れてしまったエネルギーを、どうにか処理しようと働いた結果である。
人間の活動は、
意識的に行われているように見えて、
その実、大部分が無意識の要求によって行われている。
前向きな行為であれ、後ろ向きな行為であれ、
意味のあると思う行為も、ないと思う行為も、
無意識の発散の要求によって行われている。
エネルギーは、ただ流れていこうと働いている。
その勢いそのままにまっすぐ流れれば、それは陽性のきれいなものである。
勢いが抑えられれば、それが陰性に傾く。
意識と無意識、心と身体と、
分離しているものが一つに繋がれば、エネルギーは勢いそのまままっすぐに流れていく。
滞るから陰性の働きになるのである。
統合されればされるほど、使えるエネルギーはますます大きく強くなる。
分離を起こせば起こすほど、鬱滞すればするほど、
小さく弱くしか使えなくなる。
大事なことは、
自分の中で分離してしまっているものを、統合していくことである。
別々になってしまってるものを、
一つに繋げて目一杯、力一杯使っていくことである。
アセンションを迎えて、時代は大きく変わりゆく。
かつての、集合意識の大きな分離のあった、破壊的な戦争ばかりの時代は終わり、
世の中全体として、統合していく力が大きく強くなっている。
その力は、そのまま個人にも働いている。
人は、エネルギーの集合体である。
力の結晶である。
自分の力のあることを自覚して、
それを目一杯使っていかなければならないのである。
一休