集注(集中)する
物事に集注するということは、骨盤の開閉と繋がっております。
人は何事かに集注しているとき、
身体の動きとしては、骨盤が閉まります。
状態によって、いい閉じ方、良くない閉じ方、いろいろな閉じ方はありますが、
基本的には、
集注するとは骨盤の閉まりです。
心地のよい集注をしている時というのは、いい形で骨盤も引き締まって閉じています。
集注するということには、
いわゆる集中力がある、何かに熱中しているということ以外にも、
いろいろな集注状態があります。
あいつを殺してやりたいと思っている時も、その想いに集注して骨盤は閉じています。
心を閉ざして人と関わりたくないと言うときも、骨盤は閉じています。
あまりいい集注とは言えませんが、これらも集注した状態です。
いいも悪いも、集注すれば、
一つのことにエネルギーが集まり、継続して注がれます。
骨盤が閉じて、そこにエネルギーが集まります。
感情が集注するのも、
心が閉ざされるのも、
エネルギーが内向し集まった状態です。
内向したエネルギーは凝固しやすくなるため、
これが発散されずに、骨盤の閉じたまま動かなくなると、
バネを押し潰すようにエネルギーが圧縮されていき、いつか反動で噴出します。
その噴出の端的な形は破壊です。
物を壊す、人を壊す、自分を壊すです。
最悪の場合が、人殺しや自分殺しです。
こういう烈しいエネルギーというのは、何かにつけて骨盤が閉まっていく性質を持った人の話で、
こういう人は継続していい集注を行うこともできますが、
恨み憎しみにも継続した集注が行われます。
反対に、何かにつけて骨盤が開いていく性質を持った人もおり、
そういう性質の人というのは、人殺しだのという烈しい感情とはあまり縁がありません。
継続して集注を行えないため、心が弛めば嫌な思いでもなんでもすぐに忘れてしまいます。
骨盤が閉じるというのは、
エネルギーの集注、感情の集注と一つです。
骨盤が開くというのは、
エネルギーの分散、感情の分散です。
心の状態は、こうした身体の状態として具体的に表れます。
一休