現象化
先日車を運転していて、ちょっと豪快にぶつけてしまいました。
やってしまった!と思ったと同時に、どこか快感がありました。
悲惨なのに、心が嬉しい感じがするのです。
やっと出てくれた、と咄嗟に思ってる自分がいました。
このしばらく心身の状態も非常に悪かったのだが、はじめて味わう感覚でもあったため、今の自分がどういう流れの中にいるのか全く掴めずにいました。
しかし、ぶつけた時出てきた自分の感情とか感覚を感じて、
今大きな浄化の最中で、大きなものが一つ出てきている時なんだということがその時よくわかりました。
深く内在してたものが、カルマが出てきて自分がまた一つ大きく変わろうとしてる。
修理の出費も含めて、厄払いです。
この程度の小難で変わっていけるなら安いものです。
変わっていくには、どうやったって悪い出来事が現象化して出てきます。
陰性のエネルギーが物理化して流れていきます。
それが大難にならず小難として出てきてくれること、なるべく簡単にぱっと出てさっと流れてくれることが大事なのであって、
悪い出来事をただ避けること拒むことを考えていても仕方がないというものです。
肥田春充氏は、目隠しをしても百発百中で的に弓を射ることができました。
何故そんなことが出来るのかと聞くと、
的に当ててから弓を射ってるのだから外れるわけがないと言うのです。
現象というのは末端の結果です。
現象化する前に想念があり、それより前に想念以前の得体の知れない言葉化できないものがあります。
それを気とかエネルギーとか言っているわけです。
現象化する前に、
想念が変わる、その前のエネルギーが変われば、現象化することが変わります。
現実は心の反映。
自分の心にないものを現実で体験することはありません。
想念、その前のエネルギー、全部含めて一言にしてるのが心という言葉であると思います。
一休