必要要求
この世の原理ということで極論を言えば、
自分が味わうどんな幸、不幸な体験も、
人の縁も、全て自分の必要要求で引き起こされてるものです。
事故に合うのも、病気になるのも、自分の必要要求です。
相手のあることも、悪縁も、必要要求です。
必要要求とは、言葉を変えればそれを望んでるということです。
不幸と思える境遇に生まれるとか、宿命的なものも、
生まれる前に自分が望んで決めてきたことと言えます。
恒に人生は、実は自分の望んでいることをそのまま完全な形で体験している。
勿論、表の顕在意識では望まぬことが、生きていればいくらでも起こりますが、
意識下の、深い心の奥底では、思わぬことまで自分で望んでおります。
だから極論としては、
どんな悲惨なことが起きても、どんなひどい目にあっても、相手のせいだと思っても、
誰のせいでもないし、何のせいでもない。
全部が全部、完全に100%自分のせいなのです。
自分が望んだことそのものなのです。
あくまでも原理の話なので、人情としてそんなことはなかなか思えるものではないですが、
実際は原理はこうなってるというのを知ってるか否かで、
物事の受け取りかたや対処の仕方が変わることは沢山あると思います。
一休