一休 真実の探究

野口整体、霊性修行、スピリチュアルなこと、気 エネルギーについて

優れた神社 寺

霊的に優れた神社お寺に行くと、鳥居や山門という結界の向こうが全く別の空間のようになっているところがあります。
高級霊の力によって、高級な高次の空間になっています。

そうなっているところでは、邪な存在、低級霊の類いはそう簡単にそこへは入って行けない。



高級な高次の波動とは大幅に開きのある、低次の波動をもつ低級存在は、
高次の波動とは同調できず、高次の空間には繋がることが難しい。

遥かに高い波動をもつ高級霊は、見つけることさえできないのです。



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段階的に鳥居があったり橋があったりして、進む度に次次次と順に波動が高くなって行くように造られているところもあるかと思います。


進むごとに波動を区切って、一つずつ順繰りに高級霊のいる、高波動の世界へ段階的に近づけて行っています。

区切る度にふるいにかけて、低波動なものを落としてゆくという感じでしょうか。


それらは低い波動をもつ低級存在であったり、人の中に潜む低級な意識であったり、諸々の穢れであったりです。



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だから高級な神域に行けば、それだけで日頃溜め込んでいる穢れが落ちます。
自分の落とした穢れがその神域を汚してしまうことになります。


ですので、
神仏を敬う気持ちがあるのなら、前もって出来る限りの穢れを落としてから入って行くのが、
高級霊の住まう神域に向かう時の、本来あるべき礼儀であると私は思っています。


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エネルギーが高く霊的に優れた、神と繋がる力が強く働く場所というのは、

表と裏とに、大きく二極化された世界が同じ場所、同じ空間に拡がっているのです。

その表が、神域です。



その霊場を訪れた人が、
裏の悪しき世界の方に足を踏み入れてしまうことがないように、
高級霊のいる高次の方の世界へ迷わず行けるように、
霊的に考えられて造られたものが神社やお寺です。



神社も寺も、

神に近づくための場として在る、というのが、
本来の一番の目的であると私は思います。



一休