結跏趺坐 印
日本が伝統的に培ってきた坐法は、正座であろう。
野口整体でも、この坐法を基本の型として修練してゆくのである。
それが禅宗では、結跏趺坐が基本の型になっているのであろう。
正座、結跏趺坐、
双方に共通する点は、
仙椎を立てることで背骨を真っ直ぐにし、重心が腰腹にしっかりと納まってゆく、
心身の整う構えだということである。
仙椎部には自律神経が集まっている。
心身全体を整えるのには非常に重要な部位である。
仙椎をしっかりと立てるには、その付近から腸骨、骨盤全体の柔軟性と弾力が必要になる。
それを鍛え、作ってゆくための型として、坐法がある。
かねてから疑問があった。
何故日本の伝統の身体文化では正座が重んじられ、
仏教では結跏趺坐が主になっているのか。
この違いにどんな意味や背景があるのかわからなかった。
インドのヨーガでも、日本の正座とほぼ同じ型もあるようなのだが、
瞑想においてとられる型は、ほとんどが結跏趺坐が理想であるように言われている。
何故結跏趺坐が理想なのか。
正座ではだめなのか。
仙椎が立ち身体の軸、重心が整う形であればなんでもよいのではないか、と考えていた。
が、
手で印を結ぶことで得られるエネルギーというものを知って、この結跏趺坐の意味もまだ仮説だが見えてきた。
恐らくこれは、身体全体でとっている印相なのであろう。
悟りを得てゆくのに必要なエネルギーと、深く関係しているのではないか。
結跏趺坐を組まなければ得られないエネルギーというものがあるのではないか。
だから仏教の奥義では、結跏趺坐にこだわるのではないかと、
そう考えるようになった。
一休