繊細な人の宿命
修行を続けてきたことで、今でこそやっと自分をまともに使えるようになってきて生きるのもだいぶ楽になってきましたが、
こうなってくるまでは、
子供の頃からずっと、自分にとって人生は苦しいばかりのものだと感じていたものです。
特別不遇な境遇で育ったわけでもないのに、ただ生きることが苦しくて難しく感じておりました。
だから若い時から、仏教、
仏陀の苦から物事を見てゆく見方がしっくりきたのだろう、ダライ・ラマとかの大陸の仏教の本を食い入るように読んでいました。
今はよくわかるようになったのですが、
何故そんなに、子供時分から生きるのが苦しく感じられていたのかといえば、
自分がとりわけ繊細であったからというのが大きいです。
繊細であるということは、
いろいろなものを感じとる能力が高いということです。
繊細な人、神経質な人というのは、
もともと感じることに優れている人です。
これは、別の言い方をすると、
より大きな、高度な力を使うことができるということでもあります。
アーティストは皆こういう人達です。
繊細な子は、
感じてしまう苦しさに翻弄されてしまうと、
自分を護るため、その感覚を使わないよう無意識に閉ざして行きます。
感覚をムリに閉ざして行けばゆくほどに、使われるべき力は出どころを失い、自分の中で渦巻いて、自分自身を苦しめる働きに変わってしまいます。
そうして自分自身のことがよく感じられなくなり、
心ここに在らずというか、
自分が自分でないというか、
自分の心がわからずに、自分自身を生きることが出来なくなっていってしまいます。
感覚を閉じれば、心は閉じていってしまうのです。
感じることによる苦しみを、仏教では四苦八苦の一つ、五蘊盛苦として説いています。
かつては、細かいことが気にならずにいられる見るからにパワフルな感じの人というのが強い人に見えたものですが、
今は、そういう人がただ鈍いだけなんだということがよく見えます。
強いのでなく、無神経なのです。
一見すると、元気でパワフルにも見えますが、
使えているエネルギーは大きくないのです。
繊細で神経質な人は、敏感なのです。
そして使えるエネルギーが大きい。
大きいから、使いこなすこともまた難しいのです。
そういう人の人生というのは、
有り余ってるその大きな力を使いこなす術を身に付けて行かないと、
苦しいばかりが大きくなってしまいます。
中途半端に生きていては、敏感さに翻弄されてしまいます。
どんな使い方をするにせよ、
どんな表現方法をとるにせよ、
なんにしても本気で生きなければ、使いこなして行けるようにならないのです。
繊細で神経質な人は、中途半端には生きれない、
そういう宿命なのです。
潔く、本気になって、
自分で閉ざしてしまった心の扉をどんどん壊して開いてゆくしか、道はないと思うのです。
一休