繊細さと日本文化
繊細で神経質、敏感な人は、
感じて同調しやすい人とも言えます。
無意識に、身の回りにある波長に同調してしまう、合わせる能力が高い人達です。
合わせることができるから、感じられるのです。
霊媒体質、とも言えるかと思います。
だから、
空気を読むとか、人の気持ちを察するとか、
表に見えているその向こうにある心の感じ、気の感じといったものはよくわかりますが、
きめ細やかに感覚が開いている分、
意識しなくても入ってきてしまう、受け取ってしまう情報量も多くなるので疲れやすく、
それらを抱え込みきれなくなれば今度は、
それもまた無意識に遮断しようと外部との出入り口を閉ざしてしまうようになるのです。
入ってくるのを遮断すれば、出口もなくなり、出すべき力が自分の内側にこもっていくしかなくなってしまいます。
そうなると、どんどん心と身体が分離して自分の持つ大きな力を上手に使うことが出来なくなり、
自分の力に翻弄され押し潰されて、
弱く小さく、勢いのない生き方になっていってしまいます。
もともと日本人は、
感じるということを非常に大事にし育んできている民族です。
世界的に見ても、もっとも上位なきめ細やかで繊細な感性をもっている、
感じる能力の高い民族であると思います。
日本人はあらゆるものを調和させることが得意ですが、
調和というのは、感じて同調することで可能になってゆくものです。
自然との調和、人との調和、異文化との調和、
調和をさせてゆくには、
細やかに開いている感覚を閉ざしてしまうのではなく、
目一杯開いて外に向けて使ってゆく必要があるのです。
そのためには、
自分の心と身体の軸とか、中心とか、核になる要素がしっかりと調わないと、
持っている細やかな感覚を存分に発揮できない。
整わないで使われると、同調した相手方、対象の方に自分自身が全部もっていかれてしまう。
周りに振り回されてしまいます。
日本の伝統文化は、
その心身の中核になる要素を整え鍛練してゆくことに、非常に重きをおいているものがあります。
それは特別な鍛練をする分野だけの話ではなく、
一般教養というか、親から子へ受け継いでゆく家庭教育として、
礼儀や躾(しつけ)という形でもとても大切にされてきています。
正座はその一つのいい例です。
朝ドラのとと姉ちゃんでもやってますが、
昔はご飯を食べる時も、物書きするのも、きちんと話をする時も、必ず正座です。
それがどこの家でもあたりまえでした。
正座は、心身の中核になる要素を整え作ってゆく鍛練法です。
昔は一般的な普通の生活のなかにも、そういった鍛練が組み込まれていたのです。
今の人が見れば堅苦しく見えるかもしれないが、
これは、持っている豊かな感性を上手に使いこなして力いっぱい人生を生きて行こうとする、
日本人ならではの大事な知恵を形にして伝えているものです。
感じてゆくことの大切さと同時に、
それに振り回されず翻弄されない、力強い生き方というものを、
日本の精神文化、身体文化は伝えております。
一休