他力本願
悟りの修行というものは、大きく分けて、
自力行と他力行に分かれる。
自力行とは、
ハタヨーガや中国気功のように、呼吸法や身体を使って自力の技術で気を練り上げてゆくようなものを言う。
他力行とは、
他力とはなんのことか。
神仏のことである。神仏の力を借りて、
神仏のエネルギーに助力を求めて悟りへ至ろうとするのが他力行である。
神仏の力を借りるわけだから、当然それなりの信仰というものが必要になる。
もっとも、信仰しなさいと言われてするようなものではないわけで、
経験し、感じられて、自ずと芽生えてきたときが、本当の信仰が形作られてゆくときなのではないだろうか。
言うまでもなく、本当の信仰とは盲目的に依存して自分を弱くしてしまうものではない。
神意に適った厳しい道を選ぶということであり、その道筋になるものである。
子供がしっかりとした自立した大人になってゆくには、親をはじめ、大人達の愛と導きが不可欠なものであろう。
それと同じで、大人がより成熟した大人になろうとする、あるいはその上に行こうとするならば、
それを愛し導いてくれる親や師ともいうべき存在が不可欠である。
私は今のところ、大きく2つの行法を軸に修行を進めている。
一つが活元瞑想行であり、これは自力行と言える。
もう一つが、神仏の力、神仏のエネルギーに頼る密教技法である。
心の導きに従った結果これらの縁があったので、
これが今の自分にとって最善であると信じて取り組んでいる次第である。
一休