美しさ
私はこれまでの人生で、
幸い、人の道から大きく外れてしまうようなことはなかったと思っている。
悪いことも弱いことも沢山やってきている。
図にのってつけあがり、間違いも犯してきていると思う。
しかし、人のあるべき道というものから逸れてしまったことはなかったと思っている。
それがなんのお陰、誰のお陰かと言えば、
父親の厳しさというのはやはり大きかったと思う。
間違って道を踏み外しそうになっても、
自分の中に存在している父親の厳しいにらみが、
それを正してくれていたところは大きかったと、今はよく分かる。
それ以外にも、厳しい人も嫌な人もいろいろいたが、
自分なりに、人の縁にはとにかく恵まれていたと思っている。
それ以外に、自分を正しい道へ導いてくれているものに、ある一つの感覚がある。
それは、
美しいものを、美しいと感じる感覚である。
と同時に、醜さを嫌う感覚である。
私はこの感覚を頼りに生きているところがかなり大きくある。
自分が思うに日本の文化は、
独特にこの美しさというものを尊んできている文化のように思う。
日本人は元々美というものに対する感受性のとりわけ強い民族なのだと感じる。
武士も職人も商売人もそれぞれに道があり、こだわり突き詰めてゆくという傾向がとても強い。
その元にあるのが、
人としての気高い美しさを尊び、
その美しさを感じとる感覚というもので、
その感覚が、日本文化の根底には強くあるように私は思うのです。
(備州長船兼光)
(三日月宗近 どちらも凄い気を放っています)
躾(しつけ)というのも、文字通り身を美しくすると書きます。
心と身体を美しく育てるためのものが、
本来のしつけのあるべき形なのです。
美しくなりたい、美しくあろうとする。
その感覚が、日本人の培ってきた、
日本ならではの精神文化、身体文化の一番元にあるような気がするのです。
一休