考えるより先に動く
先日、飲食店のトイレで財布を床に落としてしまいました。
ちょっと汚れてたところなので、しまったなと思いながら備え付けのアルコールでゴシゴシ拭きました。
拭きながらふと、
買い換えるべし、という導きをなんとなく感じたもので、
ネットで少し探してみると、けっこうすぐに良いのが見つかりました。
そういえばもう何年も使っているしな、
でもまだキレイだし使いやすいし、もったいないなとか、
この財布でこんなことあんなことあったなと思い出が過ったり、
余計なことがいろいろ頭を巡りもしたのだが、
流れの感じとして、従うべしと思いすぐに注文しました。
これはちょっとしたことですが、
考えるより先に動く、というのは、
巡りを良くするのには大切になることと思います。
これは自分の感覚ですが、
なんとなく導きを感じたり、
なんとなくスムーズに流れるのを感じられるときには、
余計な考えや想いにはとらわれず、流れに身を任せることで巡りが良くなってゆくものと思います。
ただ、そうして流れに任せた結果が必ずしも良い結果になるとは限らず、
失敗したと思うようなことが起こることもあるものです。
が、しかし、
実はもっとも肝心なことは、
その一つ一つの結果がどうであるかということよりも、
そうして流れに乗せてゆくことで、
心に抱えている小さなとらわれから解放されてゆくことが肝心なことなのであり、
その中で、
より大きな巡りに自分を乗せてゆくことが何よりも大切なことであると私は思っております。
自分が考え想うことには、余分な小さなとらわれや執着が気づかず潜んでいるものです。
小さな執着に生きるより、
大きな執着に生きる、
それはすなわち、本当に満たすべき、本当に果たすべき今生の目的であります。
最終的にはそれらの執着からも解放されて行くのでしょうが、
まだまだその次元のことは自分にはわかりません。
一休