一休 真実の探究

野口整体、霊性修行、スピリチュアルなこと、気 エネルギーについて

沈んでいる心の声

何事かに心の底から求める執着があるということは、それが人生の一つの道標であると思う。

その心の底からの執着にしがみつき本気でそれを得ていこうとすることは、
得たいと思う気持ちと同じだけの恐怖や不安、失意失望感を味わわなければならないことでもある。


私の好きな世界チャンピオンの鬼塚勝也は現役時代、勝利することに人一倍しがみついていた。
たとえどんな勝ち方でも、周りの評価が何と言おうとも、最後にリングの上に立っているのは僕ですと、そんなことを言っていた。
そしてその反対に、リングの上で負けるということは、自分のすべてをみんなの前で丸裸にされるような、そんな屈辱的なものなのだと語っていた。

荒行の修行僧のように、異常なまでに練習をしていたことで有名だが、
こんなに勝ちに泥臭くしがみついた人は他になかなかいないのではないかと思う。
しかしその裏には、リングでの敗北にたいする人並みではない恐怖心をもっていたようなのです。
勝利というものに絶対的にしがみつくということは、反対に負けてしまうかもしれないという絶対的な恐怖に追い立てられるということでもあるのですと。
常軌を逸した修行僧のような練習に駆り立てたものは、恐怖心でもあったのです。


自分が本気で心の底から強く求めているものにしがみつき、得んとすることは、
反対に得られないことへの強い恐怖や不安、もう無理だと思った時の失望や絶望の恐怖も同時にくっついてきてしまう。

だから多くの人は恐怖に尻込みして、自分の核心に迫ることを躊躇しているように見える。
ほどほどに諦めて自分を他のことで慰めごまかすことでとりあえず遣り繰りをしている。
でも当然それで満たされることもないから、つまらない不平不満を呟いている。一時的にごまかせるものをあてもなく探し回ってる。



およそその人が本気で求めるものには、強い恐怖心だったり、見たくない考えたくないという抵抗だったり、自分には無理だという強い思い込みだったり、そんなきれいごとあるわけないんだといったひがんだ諦めだったりが潜んでいることが多いように感じる。
こういう抵抗する感情が浮き出てきて自分の心を支配し始めたらもうごまかしようがない。

実はそれこそが深く自分を満たしてくれる心の底に沈む、心の叫びなのだから
親身に耳を傾けて、怖くともその道標にそって行ってみるのが自分を満たす近道になろう。

最後に求めた通りに得られるのかどうかの結果はわからない。
神のみぞ知るです。


危ぶむなかれ
危ぶめば道は無し
行けばわかるさ


一休