瞑想における 脱力
瞑想と一口に言っても色々なものがあると思いますが、
ほとんど全部に共通することは、脱力が大切ということでしょう。
意識的に力を抜こうと努力すれば、
随意緊張はまず弛められるでしょう。
しかしそこからさらに不随意緊張はどれだけ弛められるでしょうか。
身体には、意識しても弛まない不随意緊張というものがあります。
この筋緊張が、筋紡錘から絶えず大脳へ信号を発しているので大脳は休まりません。
そしてその休まらない大脳緊張がさらに次の不随意緊張を誘導している、
こういうことが起きています。
身体の緊張も大脳緊張も、
意識的な努力で、瞑想で必要になる深い脱力の状態にまでもっていくことはなかなか難しいのが実際でしょう。
筋緊張について大まかに言うと、
意識と繋がりが深いのが随意筋、
無意識と繋がりが深いのが不随意筋です。
あと深層筋と呼ばれるものも無意識との繋がりが深いといえます。
脱力不能になっている不随意緊張、そこには陰性感情が停滞しています。
意識で感じる不快感情が、発散、処理されずにそのまま時間が経つと、
その不快感情は、意識では感じない深部へしまい込まれて行きます。
身体で言えば、それが脱力不能になっている不随意緊張です。
心で感じたことは必ず身体にも反映されております。
生理学では、不快感情は一過性とされていたりもするようですが、
実際には一過性で無くなるなどということはなく、感じないところに確実に残っています。
いわゆるトラウマが簡単に消えないのも、このように残っているからです。
そのとき不快感情とともに起こった極度の筋緊張が、時間を経て深く深くへ潜り込み、深層筋の緊張と凝固を造ってそのままでいます。
さらに骨まで潜り込み、骨まで硬くしてしまっていることもあります。
こうした陰性感情の停滞、別の言い方をすればネガティブエネルギーの停滞は、
発散処理、あるいは排泄処理などされて体外へ流れ出ていくことではじめて無くなります。
瞑想においては、
脱力不能になってしまっている不随意緊張が弛んでいく脱力が、重要な脱力であると考えております。
一休