穢れ(気枯れ)
気は調う乱れるということ以外にも、
汚れるきれいになるという要素もある。
これは日頃習慣的に浄化をしているかしてないかで大きく変わる。
部屋の汚れと同じようなことで、日頃から無駄なものを貯めない心がけと、こまめに掃除をしていればある程度はきれいな状態で過ごせる。
それでもこびりついた汚れや、手の行き届かないところというのもある。
気が(エネルギー体)濁って汚いといいことは何もない。
余分なトラブルも増えるし、自分の状態も悪くなる。周りの人にもよくない。
人や物事と、ネガティブな要素で感応しあってしまう。
気、エネルギーといったものは、
一般的には目に見えないものであるし、感じ取れない人に至ってはそんなものが本当にあるのか?という存在まで否定されてしまうようなものでもある。
だが戦前の日本ではこの気というものを非常に重要視して感じ取ってきた歴史がある。気という文字の入った言葉も多い。
一般的な教育として、文化としてそれがあった。それが当たり前だった。
しかし、戦後アメリカナイズな社会になってからはこの貴重な文化が失われてしまった。
そして今度はスピリチュアルとか別の形で日本や東洋の気の文化が逆輸入されてきている。
これからは気やエネルギー、精神性といったものの時代になっていく。
荒い物理次元から繊細な精神次元へと世界はどんどん進んでいく。
浄化の重要性もよりいっそう増していくだろう。
人は先ず気が動き、心が動き、身体が動く。
野口晴哉先生の言葉です。
一休