無感覚から感覚へ
心と身体を養うこと、
心身の修養というのは、
敏感になっていくことであります。
どんな行法でも、行うことで、
五感も六感も、心の感覚も、
鋭くなっていくことが、正しい修行と言えます。
これが反対に、鈍っていってしまうとしたら、
修行として、そのやり方は正しくないということになります。
敏感になっていく過程では、
無感覚になってしまっていたのが、
感覚されていくという過程を辿るものがあります。
感じられなくなっていた苦を、
感じていく過程を経ます。
意識と意識下でズレてしまっていたものが、
一つに繋がっていこうとするときに、
思い出したように、
痛み苦しみを、感覚し出すことから始まるものがあります。
きれいに重なり合うまでは、不快を伴います。
不快であっても、
感じているときは、繋がろうと働いているときです。
感ずれば変わる です。
感じれば、繋がってゆきます。
これが、修行を行うことで体験していく、一つの浄化現象であります。
修行が進むにつれて、
心にも身体にも、痛み苦しみが次々と表層化して現れてくることもあります。
あまりに強く出てきたり、
一気にまとめて出てきたりすると、
耐え難いほどになることもありますが、
その痛み苦しみを経て、
心身は、養われてゆきます。
一休