整体
野口整体は一般的な整体と言われるものとはすべてが大きく異なる。
人間の身体は人体模型のようにきれいにまっすぐ、左右対称、背骨がきれいに理想のアーチを描いている、などまずあり得ない。
一般的な整体の中には、この理想の人体模型に照らし合わせて、歪んで曲がった身体を無理矢理これに合わせて行こうとしていくようなものもあると思うが、
野口整体ではこういうことは決してやらない。
きれいにまっすぐな人体模型を理想などとはしていない。
歪んでいるのも曲がっているも、色々の症状も、
すべてエネルギーの表出とみる。
上手に使われていないその人自身の力と見る。
外に向けて使われることの出来なかった力が、出所を無くして自分を抑え込む力になっている。
抑え込んだ力で歪んで曲がっている。
病弱も虚弱体質も鬱症状も、
自分自身のあり余らせた力を、自分自身を壊すことに使っている状態である。
外に使えなければ裡に使うしかない。
気も心も身体も、常に変化している。
力を集めては発散してを繰返し、その変動の中にいる。歪んでは使われ曲がっては整いが全身あっちこっちで行われ動いている。
身体の使われ方だって左右均等ではない。意識したって均等にはならない。無意識が支配している動きは左右バラバラである。
整体という言葉自体、元々野口晴哉先生が造った造語である。
その人がその人として整った状態をさして、整体であるという言い方をする。
自分のこれまでの力の使われ方とその誤りを知って、今度は正しく無駄なく使う方法を知っていく。
今の身体の歪みは、自分のこれまでの心と身体の使われ方の結果である。
それまでの生き方そのもの、生きることに対する姿勢がそこに結果として表れている。
誰かを頼れば力は発揮されずに余る。
お医者さんに頼むのも、治療家に治してもらうのも、自分の身体のことを人に任せてしまったのでは自分自身の使われ方は変わっていかない。
歪み偏りを知って、生きる姿勢が変わっていくことが大事であるとしている。
自分の思想や信念に沿って、前向きに力を発揮して生きていけば、自然と身体は整ってくる。
野口整体はその思想と生命観が非常に重要なものになる。
一休