一休 真実の探究

野口整体、霊性修行、スピリチュアルなこと、気 エネルギーについて

あくせく生きず

焦ったり、心配したり、

あれもしなければこれもしなければと、現実に追われ振り回されたりと、

多くの人は、あくせくと生きております。



自分自身が、本来の自分のあるべき生き方、あるべき形から、ズレていればいるほどに、

こうした不快な生き方を強いられてくるものです。



逆にいえば、それらの不快が、

今の自分が本来の自分の在り方でないことを示しているとも言えます。



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本来の自分のあるべき形で生きるようになると、
物事は、どんどん流れるようにスラスラと運ぶようになってきます。

小さなことに、とらわれ煩わされることもなくなって行きます。



本来の自分の在りかたに帰ってゆくことは、
誰にでも等しく言える、人生の命題であります。

大きく言えば、
それが、その人の悟ってゆく道筋であり、
同時に幸福への道でもあるわけです。

その人の幸福に必要な物は、物事は、
自ずと付いてくるものです。




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あくせくと生きても、楽なことはなにもない。

新時代に向けて、皆がそこから脱してゆくことを望むものであります。




一休

ゴキブリという邪気

先日仕事先のある場所でゴキブリが2匹現れ退治しました。

ゴキブリを好きな人はなかなかいないでしょう。私も大の苦手です。

その場所はかなり邪気も染み付いているようなところです。
ゴキブリがよく出るところというのは、だいたい邪気の強いところ、マイナス波動の強いところのように思われます。




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怖いので現れると動揺してじっくりよく見ることはできないのですが、
こんなに気持ち悪い虫が良質な波動なわけはありません。

なんといいますか、
ゴキブリは穢れの塊というか、穢れの象徴のような生き物であると感じます。


このゴキブリをはじめとする、気持ち悪い感じの害虫などは、だいたい邪気、マイナス波動を好むようです。
彼等にとってはそれが心地良いエネルギーなのだろうと思われます。




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私が今住んでいる家では、4年住んでいますが部屋のなかで気持ち悪い害虫が出たことはありません。
小さな蜘蛛がたまにいるくらいです。

私の場合修行を行う空間でもありますので、部屋のなかを良質なエネルギーの状態に保つことにはとりわけ気をつけているものがあります。

外出した後も外でよく祓ってから入るようにしており、極力部屋のなかには邪気を持ち込まないようにしています。



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家の中にゴキブリが出現したら、
それは、邪気や邪念、諸々の穢れがその空間に鬱積していることの表れかもしれないと私は思います。

人が亡くなる前にはカラスが集まってくるとかも、似たような話な気がします。



一休

夏バテ

夏バテの時期になって参りました。
私は夏の暑いのが大嫌いです。

ひどい暑さになってくると呼吸がとても浅くなってきます。
そういうのが続くと、バテてしまいそうにもなります。


私は育ちのなかで胸郭の閉じてしまってきているものが大きくあり、普段的に呼吸が浅く弱いという問題があります。

行を続けてきたことで以前に比べればだいぶマシになってきてはいるものの、
夏の暑さにとりわけ弱いというのはまだまだ克服されることはありません。



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胸郭の動きは、腰、太腿、足まで連動しているものですので、
胸郭が閉じて呼吸が浅くなっている場合、
とくに腰、裏の太腿、アキレス腱と必ず縮んで硬ばっています。

暑さだけでなく、パソコンスマホなどによる目の疲れでもこうなることはよくあります。


さらにいえば肩甲骨、後頭部(睡眠の急所)とつながるので、
呼吸の浅い状態だと、副交感神経の働き、睡眠の質ということにも大きく影響してきます。



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胸郭の動き、呼吸を自分で調整してゆくのには、下半身の可動性をよくすることから始めるとスムーズにゆく。
縮んだ太腿、アキレス腱、股関節をよく弛めて伸ばすことで上体の縮み硬ばりは楽になる。呼吸も深く入ってきます。


そういう連動で、暑さにやられないためにはとくに足腰が大事です。

足腰に力が籠り、気が籠るよう調整してゆけば、バテることなく過ごせるものです。



縮み硬くなった脚部、足部を部分浴で温めたり、下半身のストレッチをしてよく伸ばしたりすることは効果的です。


私はそれらの調整と、下半身の活元運動をよく行うようにしております。



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一休

今日の日記

今日は久しぶりに少し都内の神社に行って来ました。

気分転換にと思って行ったのでどこでも良かったのですが、一応神田明神へと向けて出発しました。


久しぶりの神田明神でしたが、上空を見上げると透き通った気が力強く、
さすが神田明神だなと思いました。
近所の小さな神社にはよく立ち寄ってご挨拶をしているのですが、
こういうところに来るとやっぱり一味違うものがあります。



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次にそこから歩いて、はじめての湯島神社に行き、御初のご挨拶をしてきました。



帰りの電車では、隣にホームレスかそれに近い暮らしをしていそうなおじさんが座っておりました。

そのおじさんの両隣だけ席が空いてたので座りましたが、
明らかにサイズの合わないサンダルを履いて、恐らく拾い物であろうポータブルのゲームの麻雀に夢中でした。


やはり多くの方は、身なりのキレイでない、拾ったような服を着ているホームレスのおじさんの隣は避けるのでしょうが、
私は隣に座っていても、おじさんからあまり嫌な気を感じることはありませんでした。

むしろ、一見小綺麗な格好をしている他の乗客、スーツをバシッと着ている人に化粧をばっちり決めている若い女の子、そんな方たちのほうが遥かに感応したくない殺伐とした嫌な気を撒き散らしてるように感じられました。



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ホームレスの方といってもピンきりでいろいろな人がいるでしょうが、
中には独特に欲から開放されてるような人がいるように思います。


娑婆の殺伐とした、欲望、羨望、駆け引き、奪い合い、等々から逸脱して生きている、
同じ世界に生きているようで、一歩ズレた世界に生きている。


世の中の普通に生きることにしがみついている大半の人たちよりも、こういう人のほうがどこか自分に近いものがある気がします。
隣に座っていると、なにか波長が合うのがわかります。
がっついてない、成るに任せてるようなところが合っていると感じるのだろうか。



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どれだけキレイに着飾ったところで、心は飾れるものでない。
欲にまみれた薄穢い心というのは、飾れば飾るほど汚れが目立ってくるように感じられるものです。



一休

エネルギーの消費

暴飲暴食、自傷行為など、

使われるべき、流れるべきエネルギーが上手に使われず心身内部に滞ってくると、
自分を壊す働きに変わる。

自分を壊し、自分を傷つけることで滞って溢れたエネルギーの消費を図ろうとします。




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暴飲暴食、自傷行為などの自分を破壊しようとする行為は、
そうした溢れたエネルギーを発散消費する無意識の要求です。



その元には、心満たされてゆこうとする要求の発動があるわけですが、
それが正しく満たされる方法がとられなければ、あるいはスムーズに行かなければ、

こうした生産的でない、発展性のない消耗方法になってしまいます。



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心身内部にエネルギーの流れを止めてしまうような、邪魔になるものが沢山あると、
自分の内部でうっ滞しやすくなります。



邪魔になるものとは何か、

邪気邪念、マイナスの信念であります。
正しくない心の使われ方、習慣化された良くない思考であります。




外へ流れて行かず内部でうっ滞し陰性を帯びたエネルギーは、言わばノイズの多いエネルギーとなり、

外の世界の同じようなノイズを帯びた物事と同調し、更なる乱れた出来事を引き寄せてしまうことにもなります。



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仏陀やイエスといった、賢者、覚者に学び、
邪気邪念を追い出し、正しい心の使い方を学んでゆくことは、

エネルギーのもっとも有効で効率的な、発展性のある消費の仕方を習得してゆくとも言えると思います。



一休

家系のカルマ

カルマ(業縁)というものは、家系で共有しているものがあるとされます。

ご先祖に陰徳を多く積んでいる人がいれば、本人の知らぬ間にもその恩恵を受けているものがあるのです。


自分が多くの悪業を浄化してゆくことは、家族、家系の幸福にも結び付きます。

身心魂を浄化し、御魂磨きを継続して行うことは、
目には見えないものですが家族、家系を護る力としても大きく働くものです。



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私自身、初めはそんなことは考えていませんでしたが、
今は一族の代表としてこうした御魂磨きの修行を行っているのだという気持ちも持つようになっています。

私の場合、頂けている法縁、神縁は本当に特別なものと思っており、
自分一人の為だけに貰えたとはとても思えるものではありません。
まだ見ぬ子孫も含めた、家系の縁者全体を助けるための役割を自分は担っているのではないかと思ったりもするものです。




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親い家族であっても、自分自身以外の人にできることというのは当然限られているものですので、
祈るしか出来ないというようなことは、誰にでもあることではないかと思います。

そうした、直接は出来ないようなこと。
目に見える形の物事ではなく、
それ以前の運命的なところに大きく寄与することの出来るのは神の力と思います。


人の力では到底護れないところまで、神の力は及びます。




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大切な人、愛する人のために、
自身が厳しい御魂磨きを行ってゆく、

これも正しい一つの道ではないかと私は思っております。



一休

髪の毛

私はある時から、ふと思いたったように髪の毛を伸ばしています。
まだ大した長さでもないのですが、洗うのも乾かすのも面倒です。

本当は頭から下まで石けん一つで洗えてしまうのがいいので、短い方が楽でいいのですが、霊的な理由もあり伸ばしております。



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髪の毛や髭などの体毛は、霊的、エネルギー的なアンテナとして働いている要素があります。

私はまだインドに修行に行ったことはないのですが、向こうでは髪の毛は切ってはいけないとよく言うそうです。
向こうの、サドゥと呼ばれる遊行僧の写真を見てみると皆相当に長いです。



私と同じ種の修行を行う人たちには、こうした髪の毛や髭を伸ばしている人が多く、
たぶん私も伸ばした方がいいからなのでしょう、どこか必要を感じて伸ばすようになりました。



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日本でも修験道を見ると、髪も髭も伸ばしている人がいるようなので、
なぜ仏教になると坊主にしてしまうのか、
表向きの理由の話でなく、霊的なことも含めた何か意図があるのか、
真意を知りたいとも思うところです。



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一休