身体感覚の錯覚
今日は調子がいいとか悪いとか、自分で感じている体調というのは、結構あてにならなかったりします。
身体感覚というもの、
ふつうの大人であれば、誰しも鈍ったものを沢山持っています。
一つ例をあげてみますと、
昔はよくいた腰の曲がったお婆さん。農家のお婆さんはみんなそうでした。
こんなお婆さんによくあるのが、膝が痛いというそうです。
腰が曲がってるのに、痛いのは腰ではなく膝なのです。
実際に最も異常をきたしているのは腰なのですが、痛みを感じるのは異常の少ない膝なのです。
正常なものが異常になっていく過程として起こることは、
まずは痛みなどの不快感が出ます。
そのままさらに回復をせずに異常に向かっていくと、今度は痛みを通り越して鈍くなり無感覚になります。
痛みがある状態では、ずっとそのストレスにさらされ続けることになってしまいます。
そんな状態でまともに生きてはいけないので、心身の持つ自然な機能は、放っておけば今度はそれを鈍らせて無感覚にしていきます。
本当の異常、本当の不調は、感じていないところに存在しています。
心身一如、心も一緒にくっついて同じ働きをしています。
ですので身体が鈍れば心も鈍ります。
心が鈍れば身体も鈍ります。
異常を異常と感じているとき、
不調を不調と感じているとき、
今日は調子が良くないと感じているときの方が、実際には状態がいいということはよくあります。
敏感だから不快感を感じて自覚できるのです。
今日は好調だ、と思っているとき、
実際には鈍って無感覚になってるから本人はそう感じてるだけ。ということも少なくないでしょう。
そしてそのまま好調だと思って、私は風邪一つひかない健康が取り柄ですと思っていたら、突然大病をしてしまう。
こういうのは自分の異常、不調を自分の身体感覚で感じ取れなくなってしまっていることが原因です。
鈍れば鈍るほど、自覚することもできなくなってしまいます。
身体感覚を敏感に養っていくと、
感じるが故の不快感も苦しみもやってきますが、
感じるが故の快感も感動も得ていくことになります。
一休